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サントリー美術館:入口
サントリー美術館

東京都港区赤坂9-7-4 :六本木・東京ミッドタウン ガレリア3階
「東京ミッドタウン」 21世紀の日本を代表する街、世界に類を見ない独創的な街が誕生しました。


A Road Traveled by Feudal Lords and Pet Dogs: Hiroshige's Fifty-threeStations of the Tokaido,
Primarily from the Hoeido and Reisho Editions

保永堂版・隷書版を中心に
殿様も犬も旅した 広重 東海道五拾三次

歌川広重の代表作である保永堂版「東海道五拾三次之内」は、江戸を出発し、53の宿駅を経て京都へいたるまでの道のりをたどった55枚の大判錦絵シリーズです。天保4年(1833)頃に版元の保永堂(竹内孫八)と僊鶴堂(鶴屋喜右衛門)から共同出版され、のちに保永堂の単独出版となりました。保永堂版の大ヒットにより、名所絵の名手として地位を不動のものとした広重は、生涯で20種以上の東海道物を製作しています。


会期: 2011 12/17(土)〜2012 1/15(日) 展覧会は終了しました。
休館日:12/27(火)、 12/30(金)〜2012 1/1(日)
開館時間: 10時〜18時 ※ただし、金・土、は20時まで開館
※いずれも入館は閉館30分前まで
※開館情報は、今後の状況により変更する場合があります。詳しくはホームページで公開しています。
会場:サントリー美術館


「東海道五拾三次之内」は、江戸を出発し、53の宿駅を経て京都にいたる道のりをたどります

画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。

サントリー美術館:「東海道五拾三次 広重」展示室 立体作品

2011 12/16 プレス内覧会
殿様も犬も旅した 『広重 東海道五拾三次』 展


「展覧会の構成」
    ―本展覧会 「News Release」 「広重 東海道五拾三次:カタログ」より抜粋して掲載しています―

本展では那珂川町馬頭広重美術館所蔵の保永堂版「東海道五拾三次之内」と、サントリー美術館所蔵の隷書版「東海道」を一挙に公開いたします。保永堂版と隷書版を比較し、宿場を描く際に広重が行った工夫と製作背景を追います。 保永堂版は、刊行当初の様子を伝える<初摺>や、一部の図様が改変された<変わり図>、55枚完結後に画帖として再発行された際の<絵袋>なども併せて展示し、人気商品であったこのシリーズが様々に展開していった様子を見ていきます。 また、富士、近江、京都などを描いた広重以前の名所絵や、広重に影響を与えたとされる円山四条派の作品と比べることで、広重が描く風景や人物表現の魅力に迫ります。


浮世絵でたどる四季折々の風景/版の違いに見る旅のドラマと風俗


サントリー美術館:「東海道五拾三次 広重」展示

十四: 原 朝之冨士 静岡県沼津市
江戸より三十一里二十一町(約124.0km)
次宿へ三里六町(約12.4km)

「浮島が原」と呼ばれ、「原」の地名の由来となっている。
湿地に生息する小魚をついばんでいるのだろうか、二羽の鶴が佇む。
保永堂版 東海道五拾三次之内 《原 朝之冨士》 天保四年(1833)頃
 那珂川町馬頭広重美術館


サントリー美術館:「東海道五拾三次 広重」展示

十五: 吉原 左冨士 静岡県富士市
江戸より三十四里二十七町(約136.5km)
次宿へ二里三十町(約11.1km)

吉原宿の東に、「左富士」という名所がある。東海道を江戸から京に上る際、富士山は常に右側に見えているのであるが、道が大きく屈曲した辺りで、一時的に富士山が左側に見えるためこの名前がついた。
・保永堂版 東海道五拾三次之内
《吉原 左冨士》 天保四年(1833)頃
 那珂川町馬頭広重美術館


サントリー美術館:「東海道五拾三次 広重」展示

二十一: 鞠子(丸子) 静岡県静岡市
江戸より四十六里十一町(約181.8km)
次宿へ二里(約7.9km)

鞠子(丸子)は東海道中最も小さな宿駅であったが、いかにも侘しい土地という印象を雪景に重ねたのだろうか。
・隷書版 東海道廿一 《五十三次 鞠子》 サントリー美術館


サントリー美術館:「東海道五拾三次 広重」展示

四十四: 四日市 三重川 三重県四日市
江戸より九十八里二十七町(約387.8km)
次宿へ二里二十七町(約10.8km)

副題にある「三重川」とは四日市宿の手前にある川で、三滝川、御滝川とも称した。画面左奥に見える藁屋根と帆柱の辺りが四日市湊である。
・保永堂版 東海道五拾三次之内
《四日市 三重川》 天保四年(1833)頃
那珂川町馬頭広重美術館


市川信也 那珂川町馬頭広重美術館館長   〜歌川広重の描いた東海道図は、見ているだけで 「行ったつもりになる」〜

歌川広重(1797〜1858)はもともと、江戸の火消しとして活躍していました。下級武士 “火消し同心” の安藤家に生まれ、若いうちに父の職を継いだのです。その傍ら、生来好きな絵を習いたいと、15歳の頃に浮世絵師歌川豊広に入門。文政6(1823)年27歳で同心職を譲り、絵師を生業にしたと言われています。それから10年後――天保4(1833)年頃に出版された 『東海道五拾三次之内』(保永堂版)は、「彼にとって出世作であり、代表作であり、メガヒットした唯一の作品と言えます」。…東海道の行程は当時、大人の男性の足で2週間ほど、ゆっくり歩いても1カ月以内で歩けたと言います。「にもかかわらず、広重はそこに春夏秋冬、四季を入れたんです。そして日時。朝、昼、晩。それに天候。雨、雪、快晴。自然の環境を巧みに加えることによって、絵に面白みを作ったんですね」。そして、出立の日本橋は非情に穏やかに始まり、途中では嵐に遭ったり、大雨、小雨、雪が降り、京都に近づくとまた穏やかな気候になっていくように、「55枚の中に旅のドラマを入れているんです」。 …今の日本人と180年前の日本人とのつながりを感じてもらえればと思います。…… サントリー美術館ニュース Vol237 P2 より抜粋


お問合せTel:03-3479-8600
サントリー美術館公式サイト:http://suntory.jp/SMA/
主催:
サントリー美術館、読売新聞社
協賛:三井不動産、グラブツーリズム、サントリーホールディングス
特別協力:那珂川町馬頭広重美術館


参考資料:Press Release、「サントリー美術館ニュースvol.237」「広重 東海道五拾三次」カタログ他。
※写真撮影は全て、主催者の許可を得て行っております。


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